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プライベートネタ のアーカイブ

政治行動に関するマインドシェア

マインドシェアという言葉がある。
調べたわけじゃないからようわからんが、たぶん特定の物事がその人の心の中に占めている割合のことなのかしらん。

で、人間が考えたり、感じたりする量はある程度一定であり、かつ必ず有限なのだから、何かをしないと言う事はその「何かをする」ということがその人の心に占めている割合(マインドシェア)が少ない(あるいはない)ということと同値である、っていう話。

政治に対して日本人は関心が低いとかよく言われるが、それは政治のマインドシェアが低いことと同値ということになる。
すなわち、政治のことを別にみんな考えていないってこと。あるいは考えていたとしても自分にとって重要と感じてないってことか。

つまり政治に対する関心を喚起し投票率を上げていくには、政治が自分にとって重要な問題である!ってことをいやがおうにも心身に刻み込ませればいいということになります。

そこで、思ったのが政治検定である。
新聞系の検定は発見したが、偏ってそうであんまり・・

それよりもより中立なNPOとかを作るわけ。
そんで、すべての国民が検定受けれるようにする。
結構難しくして、国民の政治レベルが上がるように。

そんなんじゃ国民は検定なんか受けないだろうという批判はごもっとも。
だから、検定に合格したら月2万6千円の手当が入るってのはどうよ?子供手当と同じ額笑

これがはいったら結構でかいと思いますよ。
年間312,000円ですからね。みんな受けるんじゃないかしら。
そんで受けるからには色々勉強するし、政治に関心持つのでは?

マックス5000万人が合格したとしたって年間5000万×312000=約150億円です。
大したことないやん、それで国民の政治リテラシーと政治の占めるマインドシェアが上がるなら。
政治に関心持ってもらって、そういう人たちには政治が補助金を出すなんて素敵な仕組みじゃないですか。
まさにWIN-WIN。

現実味ないですね。
しかも結局マインドシェアの話をどこにつなげたかったか書いている途中で忘れました笑
でも私が日本という国の社長だったらなりふり構わずいろんな手だてを講じますがね。。

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天国から来たチャンピオン

という映画を見ました。

※ストーリー(Wikipediaから引用)
ラムズのクウォーター・バックのジョーは、優勝をかけた試合の前日、事故に遭ってしまい急死してしまう。自分の死に納得できないジョーが、天使に抗議したところ、まだ50年もの寿命が残っており天使のミスで50年早く天国に召されたことがわかった。ジョーは即刻地上に舞い戻ることになったが、ジョーの肉体は既に火葬された後だった。

この映画、その後たくさん出てくる天国系映画の走りみたいですね。
私的にはラストシーンがしっくりこないんですよねぇ。

いい映画はいい映画なんですが、日本人にとっての魂の価値観と、アメリカ人にとってのそれとは微妙にずれているのかもしれないなぁと思いました。レビュー見ても人気いまいちっぽいし。。

興味があったら見て下さい。
普通にヒロインがきれいです。

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選挙権について

最近選挙に関するネタがすごくホットなので、関連ネタを一つ。

私の個人的な見解なのですが(そしてかなり批判を受けるかもしれないのですが)、
選挙権に関して私は一定の制限を加えるべきではないかと思っています。

難しい法律論や憲法解釈は置いておいて、選挙権は間違いなく主権国家の国民にとっての重要な権利の一つに違いはありません。
しかしながら、現実の世界において、正直な話国民全員が均等な権利を持っているというのはおかしな話なのではないか、と思ってしまうのです。

具体的には、国民が日本の財政や政治をどれだけ理解しているのか、ということ。
要するに、個人個人によって政治に対するリテラシーが違うのにもかかわらず画一的に同等の選挙権を持つ、というのは感覚的におかしいのではないかと思います。

これに対し、政治リテラシーがない人々であっても自分たちの利益を実現させるためまたは権利を守るために選挙権を行使することができるようにしなくてはならないという批判があるのは当然ですし、それが間違っているとも思いませんが、現実的じゃあないんじゃないか。ということですね。(繰り返しますが、憲法解釈だの法律解釈だのの観点に立てば間違っていることは百も承知です。)

現実に目をやったとき、政治リテラシーが低い人々は、自らの利益と権利を守るための正解と思われる決定を下していると言えるのでしょうか。これに対しては正直疑問です。

また政治リテラシーが高い人も低い人も間違いと思われる選択肢を選択する可能性はあるかもしれませんが、前者のほうがその選択確率が低いのではないか、と思うのです。

そこで私の考えは、

①無料の政治関連のテストを全国民が任意に受けられるようにする(年齢制限とかはありかも?)
②そのテストで一定以上の点数をとった人のみに選挙権を付与する
③このテストは何度でも受けることができる
④一定期間経過すると合格者も再度試験を受けなくてはならない

ってのがいいんじゃないか、というもの。
こうすれば、選挙権を持つためには最低限の政治リテラシーが必要になるし、
それだけのテストを受けて選挙に参加するくらいじゃないと自分たちの未来を決める、という意識を欠落させてしまうのではないかな。

ここで発生する偏差に関しては、一票の格差の問題に比べればかわいいと思います。

しかし、これは選挙における案であって、もっとやるべきことはある気がするが。

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視覚と聴覚

ITはまだ視覚と聴覚しかカバーできていない。
すなわち、他の五感である触覚、嗅覚、味覚に関してはITにおけるサービス発展は驚くほど進んでないわけ。

なんでこんなことを考えたかというと、
一昨日の夜にインターネット領域におけるビジネスは今後どうなっていくのかなどという答えの見えなそうな問いを考えていたから。

よく、インターネットの継続的成長はもう止まるのではないか。とか、
インターネットはやりつくした感がある。とか言うけれど、私はそうは思わない。

というか、どんな事業領域においてもやりつくすなどという事はないと考えた方がいい。
ユニクロをみよ。ウォルマートをみよ。googleをみよ。
今世界に冠たるスーパー企業はそんな業界の常識(という名の思いこみ)を打破したからこそあの地位にある。

ということで、私が思いついたオサワリ系サービスアイデアを紹介しよう!

<企画名>
どこでもオサワリサービス「どこでもさわれるんです!」

<説明>
手袋を着用する。手袋からはケーブルが出ていて、アイフォンやPCと接続。
画面でさわりたい物を指定すると、手袋に電流が流れ対象の物の感触を実現する。

その手袋をしたまま物をさわると何でも対象の物の感触となる。
つまり「プリン」を触りたいものとして指定した場合、机を触ってもパソコンを触ってもプリンのような
感触と錯覚する、というもの。

・・

まあ「どこでもさわれるんです!」は売れないかもしれないが、近いうちに触覚系のサービスは絶対出てくると思うんだよね。
タンジブルインターフェースと概念は近いかもしれないが。あ、あと遠隔地医療とかで間隔を手術する医者に伝えるみたいなのあったような・・まあ何はともあれ楽しみな時代だ。

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いとしさと切なさと心強さと

にはまっています。
この前久しぶりにいったカラオケで友達が熱唱していて、懐かしいなーと。

テレサテンさんの曲にしてもそうですが、唐突にむかしの曲を思い出すことってありますよね。

この曲は私が小学生くらいの頃にやっていたストリートファイターⅡのアニメの主題歌(94年だから15年前。8歳ですね笑)なんですが、そのアニメの様子までこの曲と一緒に思い出すから不思議です。

よく大人が思い出の曲を聴いて涙を流す、という話を聞きますが、
曲には当時を思い起こさせる想起力のようなものがあるのでしょうか。

実際強烈な思い出を伴う曲ってありますよね。
そんな曲はずっと覚えているんでしょうね。

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アメーバピグ

いまさらですが、今日初めてアメーバピグを利用してみました。
セカンドライフを可愛くしてゲーム性が高い感じですかね。まだあまり触っていないのでわかりませんが。

オセロをやって一勝もできず、他のユーザーさんにオセロの手について色々と教えてもらいました笑
それにしてもこのピグはよく出来ています。今後当たっていきそうな匂いがぷんぷんしました。

もうちょっといろいろ触ってみようと思います。
ピグ内で見かけたら声掛けてくださいね。

pighisho

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Knowing

という映画を観てきました。なんだか半端に宗教色が強くてちょっと考えもんだったなぁ。

・・

ところで、最近会社で社員と話しているときに、インターフェースに関しての話になった。

インターフェースを革新している企業といえば結構な人がアップルと答えると思う。実際i phpneにも代表されるように彼らのユーザーインターフェースに対する考慮は素晴らしいものがある。

結局その時の話においては、究極のインターフェースとは現状手とか口とかであろうという話になった。肉体のパーツもインターフェースとして考慮するのであれば、手とか口とかは最も人間の意志を伝える道具のうちの一つであるということができるはずだ。

しかしさらに突っ込んでいけば、肉体すら外的なインターフェースとして認識される時代が来るんじゃなかろうかと私は考えているという話をした。

どっかの新聞で読んだのだけど、現在研究されている技術においては、人間が何かを考えるだけでそれが実現されるという領域が志向されている。たとえば、最新の義手技術研究においては、使用者がものを取るという意思をもつだけで、義手が自動的に動くという技術が研究されているのだという。これこそまさに究極のインターフェースであろう。ようするに「思考」というインターフェースである。

なんでも人間の脳が発信するパルスを読み取って、思考内容を分析しそういう行動を取るように義手に伝えるんだとか。なんか民間企業がロボットとかでも研究内容を発表していた気がするが。

こういうのを突き詰めていくと、結局現状の世界が通信とかコンピュータの性能的限界によって規定されているにすぎないという気がしてくる。どこでもネットにダイブしたり文書が書けたりできたほうがいいに決まっているし、それをしないのはいつでもどこでもネットに入れる環境にないからに他ならない。これが、「思考」という物理的領域から完全に解放されたインターフェースをもってしてネットにつながれたり、文書を書いたり他もろもろの作業ができるようになるのであれば、これほど便利なことはないはずだ。

・・

要するに攻殻機動隊の世界ですね。量子コンピュータとかが実現して、現状のコンピュータをはるかにしのぐ情報処理能力を持つことが許されたら、こういう世界が普通に訪れるのでしょうか。まとまらなくなってきましたが、そういう世界が訪れるかもしれないと思うと、テンションが上がります。

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死者を懐かしむ日

最近マイケルジャクソンの話題でひっきりなしでしたね。

一個の人間がなくなって、あれだけ惜しまれ世界中が取りざたするというのはすごいことですね。

正直MJMJ騒ぎすぎでしょ、って人もいるみたいですが・・

・・

あんまり関係ないかもしれませんが、この前プライベートなメルアドをチェックしていたら、

mixiから「明日は○○さんの誕生日です!」というメールが来ていました。

その友人は、ちょっと前に亡くなってしまった人です。びっくりして、思わず彼女のmixiページを見て、生前の日記を全部読んでしまいました。なんだかちょっと不思議な感じがしました。当り前のことですが、なくなってしまった人でもmixiアカウントは生きていますものね。

ちょっとインターネットの怖い側面でもあるかもしれませんが、逆に私は少しうれしくなりました。

自分が忘れていってしまいかねない友人を思い出す日があってもいいな、と単純に思いました。

どうか安らかにあってほしいと思います。

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組織は何のためにあるのか。

最近慌しくて更新できてません。コメントもたまりまくってました。すいません。
今日まとめて全部返したのでよければ皆さん見てくださいね。

・・

今日は終礼で組織は理念の実現のためにあるという話をしました。

現在の日本では、組織は雇用を維持すべきだとか、雇用を創出すべきだとか言われますが、私に言わせればそんなことを言われる筋合いは全然ないわけで、理念を実現する過程での副産物として雇用とか各々の収入アップとかがあればいいんじゃねーの?

と思っています。共○党の皆さんに怒られてしまいそうですが笑 まあ個人としての主張なので申し訳ありませんがそういう気持ちです。

別に会社を創業したときに、雇用を創出するとか誰に約束した覚えもありません。
創業時にあったのは、自分の夢を必ずかなえてやる!という気持ちと、そのためにも会社を絶対成功させて日本を代表する企業にしてやる!ということでした。

この気持ちってまったく間違ってないんですよね。前者は自分個人の目標で、後者は経営者として会社の理念実現をしてやる、という気持ちだと分析しています。それは自然なことだし、創業者である私が自分の夢のために会社を創業したことに文句を言う人はいないでしょう。個人の自由だし。

ただ、ここでいいたいことは、究極私ですらも会社の部品に過ぎないということです。会社は理念が設定され、その実現のために働く構成員(その夢の実現の過程で自分の目標を達成しようと考える人たち)が生まれてきている時点で、組織として一人歩きしています。

会社を自分が経営しなければいけないとか、そういうのはエゴだと私は考えています。まぁ会社に第三株主がついた時点を想像すれば一番わかりやすいと思いますが、そうなったらもう自分だけの会社じゃないんですよね。というか私に言わせれば、創業して「こういう組織を目指します」といった時点で、周囲からそれを期待されますし、そのことに対して無責任ではないと思います。

だから、会社は理念を実現するためにあると私は思うのです。
その過程で実現される私の目標含め、各構成員の目標は副産物です。ただ、各構成員は会社理念達成の家庭で、自分の目標を会社の成長に沿わせる自由はあります。会社で自分の目標が達成不可能だと思えば会社を辞めればいいと思います。だっていても意味がないのですから。

とここまで書いてきて、この考え方って一番バランスがとれていると確信できる自分はバランス悪いのでしょうか笑 でも、構成員が自分の目標を沿わせることができるかどうかの判断基準としてミッションやビジョンがあると思うのですよね。

・・

ぐだぐだと書いてしまいました。
最近の悩みはこういう組織に対する考え方を社員に語る場があんまりないことです笑

きっと入社するときにがっつりいったり、メールで伝えることしかないのかな、と思います。もっと語れればなと。
今度もし講演会とかに招かれたら、ぜひ社員も連れて行こうと思います。

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天の岩戸

にアマテラスが隠れてしまったところ、ほかの神さんたちが相談しあい、岩戸の外にアマテラスを誘おうとしたとかなんとかいう話がある。

うちの母曰く、アマテラスがちょっと岩戸を空けたところを力持ちの神が

「ずりゃーーーー」

といって岩戸をこじあけてしまったのだとか。(さっき軽くぐぐったけどそういう記述はなかったが笑)

この岩戸のすきまは「きっかけ」なのでしょう。まずはきっかけをつかめれば一気呵成に形成が逆転することもあり得るという好例ですね。

私の尊敬するある経営者は、昔よくこの話を例にとって、

「俺に岩戸のすきまだけ与えてくれ」

と社員によく話したのだそうです。

すきまさえあれば、自分が必ず道をこじあけてみせるからと。

経営者として求められる人物像にはいろいろあると思いますが、

「自分が必ず何とかするからこれをやってくれ」と言える経営者は格好いいと思います。そして実際になんとかしてしまう経営者はもっと格好いいですね。自分の結果にまでコミットした発言が出来るというのはすばらしいリーダーシップだと思うのです。

私にはまだまだ至らない部分かもしれません。これからが楽しみです。

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